長州力 vs. 天龍源一郎(1993.4.6)◇昭和のプロレスおじさんが平成プロレスを振り返る31番勝負◇ 平成の「プロレスと僕」の来し方をプレイバック! 第5戦 平成5年(1993年,23歳)
平成5年4月6日 両国国技館 新日本プロレス 「マグニチュードX」 長州 力 vs. 天龍 源一郎
平成4年の暮れから平成5年にかけては、振り返ってみると僕の人生の中では暗黒時代だったのかもしれない。もちろん、間違っていたかもしれないけれど、その時なりに一生懸命自分で考えて頑張って、だからこそ得られたものもあった。でも家族という面から見ると、今でも後悔することはある。そんな年だった。今振り返ると、家族、親戚、仲間、多くの人たちに支えられて生かされていたんだと気づく。感謝してもしきれないくらいだ。でもあの頃は、全くわかっていなくて、全て自分でやっていると思っていたのだろう。
さて、肝心のプロレス観戦だが、劇団四季を目指し、アルバイトをしながらダンスと歌のレッスンに明け暮れていたからか、平成5年はおそらくこの日、4月6日の両国国技館大会しか観に行っていないのではないだろうか。お正月も実家に帰らないくらい(大学卒業後の方向性を巡って父親と対立していたこともあったからかも)、意地になってアルバイトをしていたくらい、お金がなかったのに、この試合だけは観に行ったのだ。
今日選んだ試合の一人、天龍源一郎は全日本プロレスを平成2年に離脱しSWSという新団体設立、その後分裂した団体のWARを主戦場にしていた。平成4年からは新日本プロレスとも対抗戦を始め、平成5年1月4日についに長州力と何年振りかの一騎打ちを果たした。その時の結果は、天龍が長州からフォール勝ちを奪い、新日本ファンを大いに驚かせた。「新日本を代表する長州が、全日の流れを汲むレスラーにまけるなんて・・・」いくら強い天龍相手だとしても受け入れがたい結果だった。その再戦の舞台として3か月後の両国大会が選ばれたのだ。
だからこの再戦を見届けたい!という気持ちは確かにあったのだろうが、それは建前で、自分でも気づかない気持ちとして、何かにすがりたい、というものがあったのではないかなと、これを書きながら気づく。この前月の大学卒業式の数日前に、単位が足りず卒業できない旨を大学から受けた時は、流石にショックだった。授業にあまり出ていなかったのだから当然なのだが、親に伝える時の情けなさと申し訳なさにどうかなりそうだった。そんな思いをするならちゃんと計画を持って単位を取っておけという話なのだ。
この大会は、藤原喜明が新日本プロレスに復帰することを表明するサプライズがあったり、見所が多かった思い出があるが、何と言っても長州と天龍の迫力ある攻防に圧倒された。フィニッシュに至る長州のリキラリアート連発は衝撃、圧巻、見るものを夢中にさせた。素晴らしい攻防だったと思う。
生活のほうは、留年したけれど、単位を取って卒業して劇団四季に入ることを決めていたので、四季で教えているバレエ講師の元に通い、四季出身のオペラ歌手を先生として紹介してもらい通ったり、高校の大先輩の歌手の方の付き人をしたりして、早朝にバイトもしながら、なんとか忙しいながらも頑張っていた。でもやっぱりあの年は孤独だったと今は思う。
ダンス、バレエのレッスンを続け、かなり体つきも変わり、技術も身につけていたので、ジャズダンスの先生(彼女も四季ご出身)からは「いける!」とお墨付きをいただいていた。そして迎えた12月のオーディション。結果から言うと、今度は歌とセリフの段階で落選してしまった。その日家に帰る時、ホームで電車を待っていると、目の前の線路が呼んでいるような錯覚を見たくらいだった。この一年やってきたことからすると、もう何を考えていいのか、何をしていいのかわからなかった。まあ、今になってみると、一年くらいでの結果で右往左往するなとなりますが。
そうして、年の暮れが来て、久しぶりに福岡にある実家に帰った。その時、父親は肺がんが進行していて、変わり果てた姿になっていた。「なんで?なんで教えてくれなかったの?」
自分なりに頑張っている時に余計な心配をさせるから、と言う理由で、僕には病状を伝えないよう、母は口止めをされていたそうだ。だから、余計に自分の幼さ、弱さ、身勝手さに情けなくなった。
今でもやっぱり時々思い返す。あの頃、きちんと両親と向き合って、正々堂々と自分がやりたいこと、やりたいからやらせてくれ、と伝えるべきだったと。もっと色々話しておけばよかったと。
そんな年だっただけに、この年唯一のプロレス観戦の記憶が鮮明なのかもしれません。
by meishoubu
| 2019-04-27 09:12
| 1993年(平成5年)
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