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プロレス名勝負一日一話

リック・フレアー vs. リック・マーテル(1985.10.21)

【入場テーマ曲と心の名勝負】 mTunes-20

  

Song Title : Let’s Hear It for the Boy

Artist : デニース・ウィリアムス(Deniece Williams)

Wrestler : リック・マーテル(Rick Martel)

「昭和の新しいタイプの優男チャンピオン」

 

1985年10月21日 両国国技館

▽NWA世界ヘビー級、AWA世界ヘビー級ダブルタイトルマッチ

 リック・フレアー vs. リック・マーテル

 

 映画「フットルース」の中で使われる楽しい曲です。フットルースが公開されたのは1984年(昭和59年)7月で、当時僕は中学二年生でした。新日本プロレスでは前年の8月にタイガーマスクが電撃の引退をして急速に人気に陰りが見えてきました。そしてこの年の9月には長州力率いる維新軍団も新日を離脱し、翌年の1985年(昭和60年)1月からオポジションの全日本プロレスに参戦します。

 

 ジャイアント馬場の持つ海外の団体との友好関係から、もともと全日本プロレスには世界の有名な外国人レスラーが代わる代わる参戦していました。そこに人気絶頂の長州力が参戦するのです。プロレスの楽しさの全てが全日本プロレスに集まった、そんな感がありました。メンバーを見ているだけなら、ですが。とにかく全ての駒が揃った全日本プロレスへの期待感、ワクワク感は最高潮でした。まさにプロレスオールスター戦、世界大戦争が全日本プロレスで展開される(はず)です。

 

 それまで全日本プロレス中継は土曜日の夕方に放送されていました。日本テレビはこのタイミングで放送時間帯を変更することを決め、1985年10月の番組改編期に全日本プロレス中継を土曜日の午後7時に持ってきます。

 

 そして記念すべき初めての土曜日夜の生中継は10月21日の両国国技館大会からの放送に決まりました。その目玉カードとして、世界最高峰と言われていたNWAのチャンピオンと、もう一つの最高峰のAWAのチャンピオンがお互いのベルトをかけて戦うダブルタイトルマッチだったのです。

 

 両世界タイトルについて語れるほど僕は詳しい知識を持っていませんが、少年時代のプロレスファンにとって、このベルトは権威の象徴で、強さの象徴でした。全日本プロレスはジャイアント馬場の団体でしたが、後継者づくりとしてジャンボ鶴田を世界の強豪たちにぶつけて育成していました。それまでになんどもNWA、AWAの王座に挑んでいましたが、毎回「あと一歩」というところで勝ちを逃し、「善戦マン」というありがたくないあだ名までつけられていました。

 

 でもようやく1984年2月23日、蔵前国技館で時のAWA王者ニック・ボックウィンクルに勝利し、AWA世界王者についたのです。馬場の後継者が念願の世界王者になったのです。世界王者になれば、全米各地を転戦して、その土地その土地のエースを相手に防衛戦を行なっていきます。つまり全米各地のプロレスファンからお金を落としてもらうシステムです。でもジャンボ鶴田の強さがあれば、楽々防衛を続け、日本に戻ってきて、再びニックやその他の全日本プロレス常連強豪外国人相手に防衛戦を行うものと思っていました。

 

 ところが全米遠征中に意外な伏兵に敗れ、王座から陥落してしまいます。その相手こそリック・マーテルだったのです。

 

 リック・マーテルはぱっと見は美形の優男。なぜこんなレスラーに負けてしまったのか。この男はそんなに強いのか、そんなにうまいのか、一度日本でも見てみたいと思いました。リック・マーテルはその年の7月に来日し、福岡でジャンボ鶴田のインター王座に挑戦、両者リングアウト。7月31日の蔵前では自ら保持するAWA世界王座を再びジャンボ鶴田相手に防衛を果たし、アメリカに帰っていきました。(7月31日https://www.youtube.com/watch?v=mlwl7lJ2fls )

 

 今回ご紹介するこの曲を入場テーマ曲にして入ってくるマーテルをみていると、これまでにない新しいタイプのプロレスラーだと思いました。

 

 その後もアメリカで防衛ロードをまっしぐら、見た目の優しさに強さ、うまさを兼ね備えた若き王者でした。

 

 そして年が変わり1985年、全日本プロレス中継、土曜のプラチナタイムでの生中継の目玉としてリック・フレアーとのダブルタイトル戦を行うために来日しました。この日は他にも鶴田、天龍とロード・ウォリアーズのタッグマッチも組まれ、華やかな大会でした。しかし、ダブルタイトルマッチは、当時の馬場全日本らしく、白黒をつけない、両者に花を持たせる、いや、どちらも傷つけない両者リングアウト。こういう積み重ねが、再び長州力の気持ちを新日本プロレスに戻すことになります。

 

 いつも曖昧決着だった全日本プロレス。それでもこの頃にはこの頃の楽しさ、ワクワク感がありました。



by meishoubu | 2019-06-15 12:00 | 1985年(昭和60年)
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陽の目を見ない試合でも語り継がれるべきだ。プロレスというものありき…。プロレスを後世に残そう。
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