アントニオ猪木 vs. 長州 力(1984.8.4)【入場テーマ曲と心の名勝負】 mTunes-22
Song Title : POWER HALL Artist : 平沢 進 Wrestler : 長州 力(Riki Choshu)
「僕のお葬式で映像を流してほしいくらいの試合だ」
1984年8月2日 蔵前国技館 ▽アントニオ猪木 vs. 長州 力 いきなり物騒なことを書いてしまったが、もちろんわかっている範囲では今のところ、そんな予定はない。つまり、そのくらい、あの世にも持っていきたい、そして後世のプロレスファンたちに語り継いでいきたいくらいの試合内容なのだ。
1984年、昭和59年。僕は中学二年生だった。プロレスが好きで好きでたまらなく、所属していた野球部の練習よりもプロレスに夢中だった。「プロレスに注ぐくらいの情熱で部活に打ち込んだら、ミッキーはすごい選手になるとにね。。。」と同級生のキャプテンに言われたが、やっぱりプロレスへの熱を野球の練習に分けることは、頭ではわかっていても体がいうことをきかなかった。
小学校6年生の9月に福岡スポーツセンターで初めて生観戦して以来、いつかは東京で観戦してみたいと思うようになっていた。そして父親が僕のことを東京に出させたい、そのために勉強して東京の大学に入ってほしいと思っていたのだろう。勉強すれば東京でいくらでもプロレスが見れるぞと、折に触れて僕にささやいていた。そして、実際に東京に行ってみれば、東京の楽しさを知って、勉強するだろうという目論見で、中学二年の夏休みに十日間ほど、千葉は船橋にいるおじさんの家に遊びに行くことになった。もちろん、新日本プロレスの蔵前国技館大会がある日に合わせてだ。
中学二年の夏休み。つまり野球部にとっては、三年生が抜けて、僕たち二年生がここから引っ張っていく立場になり、同時にレギュラー争いが本格化する時期だ。仲が良かった当時の同級生「栄治」は「あぁあ、これでレギュラーになれんかもよ」とがっかりした感じで、東京行きを考え直させるように呟いた。と同時に「でもいいね、楽しみがあるって」とも言ってくれた。複雑な心境である。
ところで国技館といえば、今は「両国国技館」である。この両国国技館は1985年、昭和60年の初場所にオープンしたのだ。それまでは蔵前国技館だった。昭和59年の9月秋場所まで使用していた。つまりプロレスにとっては、8月2日の新日本プロレスの大会が最後になるのだ。この機会に蔵前国技館を滑り込みセーフで体験できたことも僕にとっては財産なのである。
物心着いてからは初めての東京。福岡から船橋のおじさんの家までは、母が同行してくれた。母は仕事があるので二泊くらいして福岡へ帰っていった。僕はおじさんの家から毎日、渋谷にあった「世界初のプロレスショップ」という触れ込みの「レッスル」という店に通いつめていた。せっかく東京にいったのだから、いろいろなところに足を運べばいいのだが、プロレスのことしか頭になかった中学二年生の坊主頭の少年は、そこさえ行っていれば幸せだったのだ。
さてこの8月2日の対戦カードは猪木と長州の一騎打ちだったが、実は当初発表されていたのは違うカードだった。来日していた外国人レスラー、デビット・シュルツを猪木が迎え撃つというものだった。はっきり言って物足りないカードだと思っていた。ところが一週間前のテレビ生中継で、急遽、アントニオ猪木対長州力が決定、発表されたのだ。8月2日の二週間くらい前の放送では藤波と長州のシングルマッチが札幌で行われた。長州が藤波をサソリ固めにがっちり捕らえたとき、猪木がリングサイド下に出てきて長州を挑発した。猪木に気を取られ、リング上からリング下の猪木と丁々発止やり合っていた隙を藤波に突かれ、バックドロップをくらい、スリーカウントを聞いてしまった。これに納得が行かない長州が、猪木と決着をつけたいと8月2日での猪木とのシングルマッチを迫り、猪木も承諾。二人の一騎打ちが決まったのだ。
この決定をテレビで見ていた僕は、思わず「ヤッタァ!」とガッツポーズ!猪木と長州のシングルマッチ。当時の日本人同士の対決では最高の対戦カードを東京に行く機会に見ることができるなんて、なんて幸運なんだ。そのことに震えがくるくらい興奮した。福岡スポーツセンターは、地方としてはいい対戦カードが組まれていたし、見応えがある大会が多かった。でもやっぱり東京でのビッグマッチはクライマックス、最高のカードなのだ。その場に行くことができる。やっぱり僕はプロレスの星の下に生まれついたのだ、と当時思ったかどうか定かではないが、東京行きを前に、そのくらいの幸福感があった。テレビを見終えて二階の自分の部屋で眠りにつくときも、世界が拓けた、東京行きの楽しみがずっと明るくなってきたのを感じながら部屋の電気を消したことを覚えている。
その8月2日の蔵前国技館での観戦は、おじさんと二人だ。おじさんは仕事があるので、遅れて会場に来るので、先に入って観戦した。福岡スポーツセンターでの椅子での観戦しか知らなかったので、国技館の枡席というものに戸惑った。おじさんとは隣同士の枡席で離れていた。先に会場についた僕は、チケットに記されている枡席に向かった。着くと、そこには二人の大人が座っていた!「あのー、ここ僕の席なんですが」と言ってチケットを見せると、大人の人たちは僕のチケットを確認すると優しく「同じところですよ。どうぞ」と言って僕を枡席に入れてくれた。「そうなのか、枡席というのは、4人で座る座敷のようなものか」と初めて知ったのだった。
さてアントニオ猪木と長州力の一騎打ち。僕の戦前の予想は、猪木は長州を怒りのナックルパートなどのめった打ちで血だるまにした上で、5分くらいの短時間決着になるのではないかと思っていた。それは前年9月21日の大阪大会、猪木対ラッシャー木村があったからだ。遺恨決着戦での猪木は喧嘩殺法に走ると思っていたのだ。
セミファイナルの藤波辰巳対デビット・シュルツが藤波の逆さ押さえ込みでつつがなく終了し、いよいよメインイベントだ。観客席からは自然発生的に猪木コール、長州コールが沸き起こり、これから入場してくる二人の戦いへの期待感がいやが応にも高まってくる。こういう光景も東京、蔵前国技館ならではなのだろう。
選手が入場してくる花道は二つあり、僕が座っているところからだと、真左の赤コーナーの入場。そして遠くにある左側の通路から青コーナーの選手が入場してくる。
田中秀和リングアナウンサーが「青コーナーより、長州力選手の入場です!」というと同時に長州力の入場テーマ曲「パワーホール」が大音響で鳴り響く。僕の視界の遠い左側の花道に群がる観客、立ち上がって一眼でも早く長州の姿を確認したい観客の興奮、期待。そしてパワーホール。 「あぁ!これがビッグマッチなんだ。これから猪木対長州が始まるんだ。そして今ここにいるんだ。この場にいるということが夢のようだ。信じられないくらいだ。」ありがたい場にいるという感覚。身に余る観戦体験。誇らしさ。いろいろな感情が高揚感とともに湧き上がってくる。 あの日、パワーホールが鳴り響く中、長州力が入場してくる蔵前国技館の館内の光景は僕のプロレス人生の中でもハイライトになっている。
そしてこの試合、当初の僕の予想は幸いにも外れた。現代のプロレスではもちろん、当時のプロレスでも滅多にお目にかかれないテクニックの攻防、ストロングスタイルの原点。そして試合がどんどん動き、長州のサソリ固めを耐え抜く猪木、長州の頰へ反則すれすれのナックルを放つ猪木、長州の長髪から飛び散る汗のミスト。猪木が突然放ったジャーマンスープレックスが弧を描く間、まるでスローモーションのように見え、その間、ストロング小林戦、ドリー・ファンク・ジュニア戦(まだ生まれていなかったけれど!)が走馬灯のように僕の脳裏を駆け巡った。
最後は長州がリキラリアットを狙い、右腕を猪木めがけぶん回したところをかいくぐり、猪木が長州にコブラツイストをかけながらマットに倒れこみ、そのままスリーカウントを奪った。一瞬の決め技。大激闘に終止符を打った。
この試合は1984年の東京スポーツプロレス大賞の年間最優秀試合に選ばれたのだ。
試合後、蔵前国技館を出ておじさんとラーメン屋に入って遅い夕食をとって船橋の家に戻った。タクシーの中でおじさんが一言「長州って強いな」。プロレスに詳しくなく、保護者的な立場でついてきてくれただけなのに、そう言わせる長州って強いんだなと改めて気づくとともに、誇らしくも思った夜のタクシーだった。
最高の試合内容に加えて、いろいろな思い出を纏った、僕にとって大切な試合なのです。
by meishoubu
| 2019-06-20 08:00
| 1984年(昭和59年)
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