アントニオ猪木 vs. ハルク・ホーガン(1985.6.13)【入場テーマ曲と心の名勝負】 mTunes-27
Song Title : Eyes of The Tiger Artist : サバイバー(Survivor) Wrestler : ハルク・ホーガン(Hulk Hogan)
「新日本プロレスとWWF/MSG蜜月時代の終焉、ホーガンの日本卒業」
1985年6月13日 名古屋・愛知県体育館 ▽第3回IWGPヘビー級選手権 アントニオ猪木 vs. ハルク・ホーガン
昨夜、猪木とマスクド・スーパースターの試合を観たくなり、以前購入していた「アントニオ猪木全集」というDVD13巻ボックスを取り出し、その中の11巻を再生した。猪木がスーパースターをジャーマンスープレックスホールドで斬って落とし、マスクを剥いで勝ち誇るのを見届けると、次はなぜか無性に猪木対バックランドのフルタイムマッチを観たくなった。この試合は第8巻に入っていて、DVDをデッキに挿入し、チャプターリストを見ると、バックランド戦のほか、アンドレ・ザ・ジャイアント、ホーガンとの懐かしい試合も沢山収録されているのに気づく。
その中で、IWGPをめぐるハルク・ホーガンとの一連の戦いが収録されていた。 1983年6月2日 IWGP優勝決定戦 1984年6月14日 第2回IWGP優勝決定戦 1985年6月13日 第3回IWGPヘビー級選手権
1983年のタイトルに「第1回」と書いていないのは、そもそもIWGPはこの年限りのものであったはずで、この試合で失神KO負けをした猪木がリベンジをするために「第2回」が開催されたのだ。だから、昭和のこだわりプロレス者としては「第1回」と書くことは自分の中のIWGPを保つためにも書くことはないのだ。
さて1983年には猪木の失神KO負け、1984年の第2回は長州力の場外での介入による猪木のリングアウト勝ちとそのあとのファンの暴動と、なかなかスッキリしないIWGPだった。そうこうしているうちに、長州力率いる維新軍団は全日本プロレスに移籍し、ハルク・ホーガンはWWFの全米侵攻戦略の旗頭として、日本への来日が覚束なくなっていた。
そんな中で1985年5月10日福岡から6月13日名古屋までのIWGPは、そのシリーズ名を「IWGP&WWFチャンピオンシリーズ」と銘打って開催された。第二回で優勝した猪木との対戦権をかけて、国内外のレスラーたちがトーナメント戦を期間中に行った。 トーナメント優勝者が6月11日の東京体育館で猪木と初代IWGPヘビー級チャンピオンをかけて戦い、準優勝者がWWF王者のハルク・ホーガンに挑戦する。そして、6月13日の名古屋で初代IWGP王者となった者がハルク・ホーガンを相手のIWGPの初防衛戦を行う。そういう座組みであった。
1983年からIWGPの開幕戦の地として選ばれていた福岡スポーツセンターでこの年も開幕戦が行われた。1985年(昭和60年)当時、中学三年生だった僕は、この頃は、一人で観戦するようになっていた。リングサイドのチケットをいち早く岩田屋百貨店のプレイガイドでゲットしていた。
開幕戦の対戦カードは、 ▽猪木、藤波 vs. アンドレ、ジミー・スヌーカ ▽IWGPトーナメント一回戦 坂口征二 vs. マスクド・スーパースター その前の2回の開幕戦では猪木vs.アンドレ(83年)、猪木vs.ホーガン(84年)という好カードだっただけに、今回はちょっと弱いかなという気持ちが正直なところだった。でも初めて生で見るジミー・スヌーカに目をときめかせ、真下から仰ぎ見るアンドレ・ザ・ジャイアントの山のようなデカさに改めて興奮したりと、それはそれで楽しい時間だった。おおらかな時代だったのだ。
このIWGP&WWFチャンピオンシリーズは、トーナメントが進む間にも、他に様々なドラマ、戦いがあって、バラエティに富んで、懐かしく楽しい思い出のシリーズでもあった。
藤波とスヌーカの大流血試合(大分)、「お前は平田だろう!」事件(熊本)、WWFインタータッグ王座新設と藤波、木村組戴冠(神戸)など、停滞していた新日本マットが再び少しずつ動き始めていた時期でもあった。
肝心のIWGP王座戦をかけたトーナメントの決勝は藤波辰巳とアンドレザ・ジャイアントの決勝戦(6.7松本)になり、スピード殺法でアンドレを翻弄した藤波だったが、最後はアンドレの巨体に任せたヒップドロップに屈してしまった。これで猪木と藤波の間での王座決定戦という夢はこの時点で潰えた。
猪木と藤波の対戦については、実はこのシリーズの前の4月18日、両国国技館初進出でのメインイベントは、当初、この二人の師弟対決シングルマッチという発表だった。これが当時新日本プロレスが提供できるもっとも新日本らしいカードだった。でもやはりチケットが伸びなかったのだろうか、僕もあまりピンときていなかったところに、ブルーザー・ブロディが全日本プロレスから移籍してきた。4・18両国は猪木対ブロディの運命の対決となって、猪木・藤波戦は流れていたのだ。
だからこのトーナメントで藤波が優勝して猪木と対戦してほしいという期待は高かった。でもやっぱりアンドレの壁が高すぎて、ぶ厚すぎた。
そうして6月11日の東京体育館(千駄ヶ谷)でのIWGPヘビー級王座決定戦はアントニオ猪木vs.アンドレ・ザ・ジャイアントに決まった。この試合は、猪木の不調なのか、大苦戦の末に不思議な結末で猪木がかろうじて勝利を収め、初代IWGPチャンピオンになった。
これが現代の新日本プロレスの象徴、IWGPヘビー級タイトルマッチの始まりとなる。
ここまできて、ようやく本題の試合に入る。6月13日、名古屋・愛知県体育館でのアントニオ猪木とハルク・ホーガンの試合だ。ホーガンは米国での過密スケジュールを縫って6月7日の松本大会からの一週間の参戦。すでにWWFの最高峰のチャンピオンに君臨していて、体全体から発せられる自信に満ちたオーラが眼に眩しい。
立錐の余地もない愛知県体育館の観客をかき分け、花道を颯爽と進むホーガンをさらに強く印象付けたのが、この時の入場テーマ曲「Eyes of The Tiger」だった。ロッキー4で使われている曲だ。この曲は、ホーガンの他にも、スーパー・タイガー(佐山聡:初代タイガーマスク)、ケリー・フォン・エリックも使っていたが、僕にとってはホーガンが入場してくる時のこの試合と前々日の藤波辰巳戦での場面がもっとも印象に残っていて、しっくりくるのだ。
当時のホーガンの成長、勢い、自信と責任感のようなものが、鍛え上げた肉体オーラと曲のイメージに相まって伝わってきた。
この試合は2年越しの猪木、ホーガン、IWGPの総決算、けじめの一戦だったような気がする、今思い出すと。全米制圧を本気で取り組んでいたWWFは、全リソースをアメリカに注ぐために、このシリーズを最後に新日本プロレスとの業務提携を終了させた。リングサイドにはWWFの総帥、CEOのビンス・マクマホン(2代目)が座り、観戦している。
この試合の真っ只中の時は二人が決着戦を、まさに相手を倒して勝つ!という意気込みで挑んでいたように見えるし、実際にそうだったと思う。でも今振り返ってみると、二人はこれでしばらく同じリングに上がることはない、これで最後かもしれないというものを持って、お互いに確かめ合うようにじっくりとレスリングをしているようにも見える。
アメリカでデビューし、パワーに頼ったファイトで荒削りだったホーガンは、新日本プロレスでの戦い、猪木とのタッグパートナー、IWGPでの経験を経て、プロレスのなんたるか、観客とのサイコロジーを身につけ、アメリカの象徴になるまでのスーパースターになった。
そんなホーガンの最後の来日と戦いは、まるでハルク・ホーガンを祝って送り出すような感慨深いものだと今見て思う。
猪木を後半、終始パワーで圧倒し、この頃身につけた、コーナー対角線に振ってのアックスボンバー、場外鉄柵に押し付けての逃げ場のないアックスボンバーで猪木を窮地に追い込んでいく。2年前の悪夢の再現かと猪木ファンは目を背けたくなる場面。しかし最後は、猪木が3度目のアックスボンバーを場外でかわし、延髄斬りをホーガンの後頭部に叩き込む。崩れ落ちるホーガン。場外カウントが進む中、リング上に生還しようとする猪木の足を引っ張って防ごうとするホーガン。猪木は、うまい力の使い方をしてホーガンの手を振りほどき、リングイン。その直後に場外カウント20が数えられ、猪木はリングアウト勝ち。見事、IWGPの初防衛に成功した。
この試合を最後に今日まで、猪木とホーガンはリング上で交わることはなかった。この二人の間の、この試合への感情は想像するしかないが、じっくり噛み締め、確かめあいたいような気持ちになる時間だった。
新日本プロレスを卒業したホーガンは、この後本格的に全米制圧に向けて驀進していくのだった。
by meishoubu
| 2019-07-07 08:00
| 1985年(昭和60年)
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