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プロレス名勝負一日一話

プロレスを守る 武藤敬司の矜持(1999年)

1998年(平成10年)12月8日 愛知県体育館

▽SGタッグリーグ戦Ⅷ 決勝戦

 武藤敬司、小島聡 vs. 藤波辰爾、橋本真也


◆背景


 この年の年内最終試合。ひと月後に1・4東京ドーム大会を控えている中での試合です。前年1997年にn.W.oジャパンに加入した武藤敬司が新日本本隊にいた小島聡を勧誘してタッグチームを結成して臨んだタッグリーグ戦。n.W.oジャパンの総帥、蝶野正洋は怪我で欠場中ということで、武藤敬司がリーダーとなっていました。しかし、蝶野に相談なく小島を加入させたことで、蝶野と武藤の関係がぎくしゃくしはじめたのもこの頃。


武藤としては、小島を加入させた自らの主張をリーダーとしての立場をn.W.oジャパン内外に示すためにも、小島との優勝、さらには1・4ドームでのIWGPヘビー級王座奪取は必須でした。


◆プロレスを守る。武藤敬司の矜持


 試合は小島聡が相手チームの猛攻に耐えながらも、武藤のアシストでできた藤波の隙を突いてラリアットで3カウントを奪い勝利。武藤、小島組が優勝しました。


 試合後、バックステージでのインタビューで武藤はこう言いました。


 「他団体とかどうでもいいんだよ。俺たちの力でドーム、盛り上げてやる」


 いつものリップサービスではなく、そこには武藤が抱いている苛立ちと、プロレスへの誇りが感じられました。


 年が明けての1999年、1・4東京ドーム。大仁田厚とU.F.O小川直也で大荒れになった大会を閉めたのはIWGPヘビー級選手権、スコット・ノートン(王者) vs. 武藤敬司(挑戦者)でした。


 1999年を通しての武藤敬司のプロレスはここから始まりました。



by meishoubu | 2020-07-25 10:26 | 1998年(平成10年)
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陽の目を見ない試合でも語り継がれるべきだ。プロレスというものありき…。プロレスを後世に残そう。

by meishoubu
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